【物語】入居者さんは生きている?
突然の電話。。。
その日は、僕がサークル活動をしているナイター野球の試合の日。
いつもは残業が当たり前なのですが、試合を言い訳にそそくさと仕事を切り上げて、気の合う仲間と野球の試合を終えた直後のこと。
時間はもう21時を過ぎたくらいだったでしょうか?
僕の携帯電話が、「プルルルル・・・」
ディスプレイには後輩社員の名前が(いやな予感・・)
「はい、田中です。何かあった?」
後輩社員が、慌てた声で、
「おっ、お疲れ様です。ハイツ荒田(仮称)のオーナーさんから電話があって、天井から水が落ちてくるというので、今現場に来ているところなんですが・・」
ハイツ荒田は、オーナーさんの自宅(オーナールーム)が1階にあって、2階以上が1Kタイプのお部屋になっています。
「上の階の入居者さんは?」
「携帯に電話しても、玄関のチャイムをならしても出ないんです。玄関ドアの下から共用廊下に水も流れ出てます!」
入居者の佐藤さん(仮)の契約情報を聞くと、20代後半の独身男性で、先月契約更新をしたばかり。
勤めていた会社は、最近退職しており現在は求職中。
そして、今月分の家賃がまだ入金されていないとの情報が。。。
それを聞いた瞬間、職業病なのでしょうか?
過去の経験から、佐藤さんが浴槽につかったまま青白い顔で目を閉じている姿が、脳裏に飛び込んできました。
ハイツ荒田の間取りは、玄関のすぐ右手に浴室があるんです。
それを掻き消すように、僕は後輩に、
「親御さんには連絡した?管理キーは持ってきてる?」
「まだです。鍵は持ってきてます。」
「すぐそっちに向かうから、親御さんに連絡つけて、事情を説明して入室許可を取っておいてくれる?それから、警察にも電話して安否確認立会いの依頼をしておいて。」
「わっ、わかりました。」
と、後輩に段取りを指示して、急いでハイツ荒田へ車を走らせました。
佐藤さんは自宅にいる?
僕がマンションに着くと、そこには後輩社員とオーナーさん、ちょうど警察も到着したところでした。
オーナーさんは、70代半ばの女性。学生街のマンションなので、入居している学生さんからすると、おばあちゃん代わりのような存在。
穏やかな笑顔が印象的で、おしゃべりが大好きな方です。
「週末に遊びに来てくれる孫との時間が一番の楽しみなの。」と、つい先日もそんな話をしたばかりでした。
でも、さすがに今は終始不安げな表情。
僕が「お疲れ様です。遅くなってすみません。」
というと、オーナーさん、警察、後輩社員の3人は一度軽く僕を見たあと、揃って驚いた顔で僕を二度見。
というのも、僕が野球のユニホーム姿だったからです。
「すみません・・・。試合があったものですから(汗)。」
緊張の現場が、僕の場違いな格好で変な空気に包まれつつ、
「田中さん。今、ちょうど親御さんに連絡がついて、安否確認の承諾が取れました。これから鍵を開けるところです。」
後輩社員の携帯電話は、熊本県在住の親御さんと繋がったままでした。
息子のことが心配で、電話を切って待つことができなかったようです。
佐藤さん宅の玄関ドアの下からは、まだ水が流れ出続けています。
僕は、念のためもう一度チャイムを鳴らし、室内の佐藤さんに呼びかけをして返事がないことを確認。
そして後輩から管理キーを受け取り、警察の方と目を合わせると、鍵穴に鍵を差込みました。
「ガチャッ」鍵が開く音がします。
さっき脳裏に浮かんだ佐藤さんの画像がフラッシュバックしましたが、覚悟を決めてゆっくりドアノブを引くと・・・・
「ガチャ、ガチャ」
とドアは3cmほど開いたところで何かに引っかかって開きません。
「あれっ!内鍵が掛かってる。」
内鍵の掛かったドアの隙間からは室内の明かりが漏れています。
室内の電気がついていて、内鍵が掛かっている・・。
つまり、佐藤さんは100%室内にいます。
僕は、その3cmの隙間に口を近づけ、
「佐藤さーん!佐藤さーん!」
と何度も大声で呼びかけましたが、室内からは返事も物音すらなく、チョロチョロと足元に流れ出る水音が聞こえるだけでした。
この状況にいよいよ僕は、覚悟をきめたのでした。
救世主登場!
内鍵という壁が立ちはだかり、その場にいる全員、沈黙してしまいました。
鍵屋さんなら、ドアスコープから特殊な機材で内鍵を開けることができます。
でも、この夜遅くにすぐに駆けつけられる鍵屋さんがいるかどうか?
その時でした。
これまでの一連の騒ぎをを聞きつけて、隣の部屋の男性が部屋から出てきました。
警察や我々を見て、何事か?という顔をしています。
まさに救世主!
僕は、速攻で隣り部屋の男性に駆け寄り、
「こちらの部屋の方が中にいるはずなんですけど、出てこられないんです。」
「内鍵もかかっていて、万が一のことがあってはいけないので、どうしても部屋に入りたいんです。」
「申し訳ないですが、お宅のベランダから入らせてもらえませんか?」
男性は、警察・オーナーさんを前に一瞬で状況を理解し、承諾してくれました。
そして、僕は携帯電話越しに状況の報告を待っている親御さんに、
「内鍵がかかっていて部屋に入れません。呼んでも返事がないので、ベランダから窓を破って入ります。承諾いただけますか?」
「迷惑掛けてすみません。もちろん窓ガラス代は弁償しますので、どうかお願いします。」
親御さんの声は涙声になっていました。
空き巣の心境
営業車からカナヅチを持ってきて、お隣さんのベランダから本人の部屋へ入ることに。
ベランダを渡りながら、
「お願いだから、どうか生きていて下さい。」
と願わずにはいられません。
佐藤さん宅のベランダに入ると、カーテンで中は見えませんが、照明がついているのが分かります。
僕は、佐藤さんが部屋で爆睡してくれているをわずかながら期待しながら、窓ガラスを手でドンドンと叩きました。
再度「佐藤さーん!」と叫びましたが、やはり返事はありません。
自分の人生に、窓ガラスを叩き割る場面が、ましてこんな状況で訪れるなんて。。。。
「夜にベランダで窓ガラスを割る」という空き巣のような行為と「(想像上の)室内の惨状」の光景があいまって、バクバクと鼓動が高鳴るのがはっきりと分かりました。
「ふうー。」
と、僕は無理やり心を落ち着けた後、カナヅチで窓ガラスのクレセント(鍵)に近いところを思い切り叩きました。
網入りガラスなので、一発では割れません。
何度か叩くことを繰り返し、やっと手を入れるほどの穴が開きました。
これだけ大きな音がしているのに、残念ながら室内からは何の反応もありません。
(もうどんな惨状になっていようが、なるようにしかならんな。)
腹をくくった僕は、割れた窓ガラスに手を入れて鍵を開け、一旦目を閉じてから、どうにでもなれ!とカーテンを一気に思い切り開けました。
すると、
そこには・・・・・
耳には黒い大きなヘッドホン!(結構高そうなヤツ)
そして、手にはゲームのコントローラー!
(僕の中では)
青白い顔で目を横たわっているはずのあの佐藤さんが、なんと何食わぬ顔でTVゲームに夢中になっているではありませんか!
しかも、トランクス一丁で!
拍子抜けして固まってしまった僕と、ゲーム中の佐藤さんの目が合いました。
そして、僕の存在に気づいた佐藤さんはその忌まわしい黒いヘッドホンを外しながら、
「あんた!人の部屋で何やってるんですか!」
と、僕が想像もしていなかった第一声を発したのです。
そりゃ、そうでしょう!
いきなり、野球のユニホーム姿の不審すぎる男が、自宅のベランダの窓ガラスを割って現れたのですから。
佐藤さんの立場で考えたら当然です。
でも、この状況で相手の立場で考えるなんて、僕にそんな心のゆとりは持ち合わせていませんでした。
「それはこっちのセリフだーーー!あんたこそ、何をやってるんだ!!!」
「部屋から水漏れしてて、電話しても出ない、玄関から何度呼んでも反応がない。内鍵までかかっているから、あんたが死んでるんじゃないかって!」
「皆がどれだけ心配してるか分かってんのか!」
「外には、警察もオーナーさんも来てるんだよ!」
今までの緊張を返せ!とばかりに怒鳴ってしまいました!
そっちが先かい!?
僕の説明に佐藤さんは、一瞬でお風呂のお湯を出しっぱなしにしていたことを思い出しました。
そして当然、風呂場に駆け出すと思いきや、
なんとそれよりも先に、ベッドに無造作に置いてあった『大人の本』を猛ダッシュで隠しに行ったのです!
これまた予想外の行動に僕は、
『そっちが先かい!』
と思わず突っ込んでしまいました!
その後、佐藤さんはまるで早送り>>かのようなスピードで風呂場のお湯を止めに行き、洗濯機に突っ込んであったTシャツと短パンを取り出し、僕が気づくともう着替えた姿で玄関の内鍵を開けていました。
彼は、最悪の状況を一瞬で判断し、
真っ先に『大人の本』を隠し、そして風呂場のお湯を止め、瞬時に着替えまで行って対応して見せたのです。
人ってのは、窮地の時は、驚くほど頭の回転が速くなるものなんですね。
そして、佐藤さんは、外で待つ皆さんに、開口一番
「ゲームしてて風呂にお湯入れてたのを忘れてました。すみませんでした・・・」
警察・オーナーさん・後輩社員・お隣りさん・・・
全員、見事なまでに口がそろって開いてます。
「開いた口が塞がらない」という諺(ことわざ)は、正にこの瞬間を言うのだと確信しました。
そして、間もなく佐藤さんが全員からこっぴどくお叱りを受けたのは言うまでもありません。
命が無事だったことが何よりも良かったですが、こんな「緊張と弛緩」を味わえるとは思ってもいませんでした。
ある意味貴重な体験です。
幸い、水でぬれたオーナーさん宅の内装と僕が割った窓ガラスは、入居者加入の保険で対応ができ、金銭的にはたいした負担にはなりませんでした。
後日、熊本から親御さんがオーナーさん宅を訪れ、親子共々深々とお詫びをされたとのことです。
善良なる管理者って?
ところで、
「風呂のお湯を出しっぱなしにしたからって、排水口があるから風呂場からは溢れないでしょ!」
って、あなたも疑問に思ったのでは?
実は、浴室の排水口は髪の毛と油脂でいっぱいで、一体何年掃除しなかったからこうなるんだ?という状態でした。
排水能力はほぼゼロ、浴槽からあふれ出たお湯は、排水口をスルーして洗い場からも溢れ、そして玄関まで流れ出ていたのでした。
<教 訓>
〇ゲームするなら、風呂は入るな!
〇掃除しないなら、風呂は入るな!
というのは、冗談ですが、賃貸借契約には善管注意(善良な管理者の注意)義務という民法上の規定があります。
これは、平たく言うと「借りている部屋は、自分の物より大切に取り扱って、オーナーさんの代わりに注意を払ってちゃんと管理しなければいけませんよ。」ということです。
掃除(管理)を怠ると、佐藤さんのような大惨事?になることもありますから、お部屋は綺麗に使いましょう。
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