引渡し日当日にこんなトラブルがあったら、、、
『サーッ』って何よ?
「田中さん!やってしまいました・・・」
「どうしたの?」
「伊藤さん(仮)が、『サーッ』てなってしまって・・」
後輩の小久保君(仮)は、気が動転してしまっていて、一体何の報告なのだかよくわりません。
2年前の3月下旬頃だったでしょうか?繁忙期の時の話です。
賃貸営業は、たくさんのお客さんの接客・案内・契約・引渡しを繰り返す毎日。
みんな休み返上で頑張っていましたが、3月後半になるとヘロヘロになっていました。
小久保君は、入社3年目の営業社員。
長身で細身の体型(ルパン3世のよう)。几帳面できれい好きな性格と、長身なのに
腰が低いのが好印象で、お客さんにも信頼されています。
営業成績もいつも社内でトップ3に入る優秀な社員でした。
そんな小久保君が、今、目の前で意味不明なこと(サーッて数回連発)を言っています。
これは、何か大きなことがあったに違いないと、瞬間的に思いました。
「すまん。全く意味が分からないから、いちから教えて。」
小久保君は、ひと呼吸おいて、自分を落ち着かせてから、
「今日、入居したお客さんの伊藤さんなんですけど、立体駐車場に車を入れたら、
車の屋根のところが上段のパレットにこすってしまって。車の屋根に『サーッ』て
傷がついてしまったんです。」
立体駐車場の車高制限
(その『サーッ』だったのか・・)
やっと何が起こったのか、理解ができました。
「小久保君は、伊藤さんの車体のサイズを確認してなかったの?」
「それが、契約のときに車は買い替える予定だと聞いていたので、購入予定の車のサイズは
確認してたんですけど、今の車のほうは確認してなくて。新しい車のことしか頭になくて・・・。
やってしまいました。」
「入居までに買い換えるってお客さんは言ってた?」
「いえ、2ヵ月後くらいと聞いていました。」
「マジか・・」
伊藤さんの入居したAマンションは、鹿児島市内のベイサイドエリアに建つ築7年ほどの
ハイグレード賃貸マンションです。
ベランダから桜島が一望できるのが売りで、家賃も相場よりやや高いのですが、
上場企業の社員さんとか鹿児島の優良企業の社員さんが入居していました。
自社の管理物件でもあり、また毎年8月に行われるサマーナイト大花火大会では
ベランダから特等席で花火が見物できる人気物件のひとつです。
伊藤さんは、28歳の男性のお客様。
司法試験に昨年合格、今春から物件の近くの法律事務所に勤務が決まり、
海の見えるロケーションをすごく気に入ってくれて、この物件に決めてもらった方でした。
起きてしまったことは、もう取り返しがつきません。
とにかく、今後の対応について考えなければなりません。
それに小久保君は、この繁忙期の中、率先してお客さんの接客をこなしてくれていました。
店舗を彼が牽引してくれていたことは、誰もが認めるところです。
夜も遅くまで、契約書を作って、しかも売上もトップ。
オーバーワークが原因で確認ミスが出てしまったのでしょう。
なので、彼を責める気持ちにはなれませんでした。
「伊藤さんは今回のことをなんて言ってた?」
「すぐにディーラーに電話して、修理に出されたんですけど、その時 修理費用は
どうなるんですか?って聞かれました。」
「小久保君はなんて答えたの?」
「僕では判断できないので、会社に相談します、って伝えてます。」
今回の件は、仲介業者としての完全な確認ミスだと思いました。
全額の費用負担を覚悟せざるをえません。更にお客様が弁護士さんともなれば、
こちらも法律的なことまで事前に確認した上で、対応に望まなければなりません。
とは言え、ご迷惑を掛けたのですから、とにかく誠意を示すことが第一です。
「小久保君、修理費用が分かるのはまだ先だろうから、まずは一緒にお詫びに行こう。
伊藤さんに連絡して夕方以降でアポを取ってくれる?あと菓子折りも準備しててね。」
「わっ、分かりました。」
弁護士の意外な見解
夕方の訪問までの間に、僕は弁護士事務所に連絡をして、ことの経緯を説明し、
当社にどのくらいの過失があるのか、どう対応すれば良いのか聞くことにしました。
すると弁護士さんからは、意外な言葉が返ってきたのです。
「その立体駐車場には、案内看板はついているんですよね?車高・車幅・車長とかが
書いてあるやつです。」
「はい。看板はついています。」
「それだったら、御社の過失はほとんどないですよ。」
「えっ!そうなんですか?何故なんですか?」
「その小久保君でしたっけ?お宅の社員さんが運転して傷つけた訳ではないのですから、
本人が看板を確認せずに、自分で運転して傷を着けたんだから、運転者本人の過失ですよ。」
「仲介業者としての過失はないとは言えないですけど、出すとしても見舞金程度でいいじゃないですか?」
「うーん。そうなんですね・・・分かりました。ありがとうございました。」
その説明を聞いて、会社の経費負担は少なくて済む内容ではあったんですが、何か釈然としません。
法律的にどうこうというより、車に傷がついてしまったという、伊藤さんの精神的なショックと、
原因が自社の確認不足にあるのに、今後気持ちよく新しい生活を自社の管理物件でできるのか?
という疑問が残りました。
僕は、伊藤さん宅へ訪問する前に、今回のトラブルの経緯と弁護士事務所の見解を
会社に報告しました。
会社にも伊藤さんの感情面の納得を考慮してもらい、費用折半での了解を得ることができました。
とはいえ、相手は弁護士さんですし、何故折半なのか?ということも納得いただくように説明
しなければなりません。
伊藤さんは納得してくれるのか?
僕は小久保君と共に、夕方伊藤さん宅を訪れました。
まだ、伊藤さん宅は家具の搬入がまだなのか、広い部屋に何冊かの専門書とテーブルが
ぽつんと置いてあるだけです。
「今回は、当社の確認不足の為に、伊藤さんには大変ご迷惑をかけて、本当に申し訳ありませんでした。」
二人は、伊藤さんに頭を下げ、小久保君が用意した菓子折りを差し出しました。
伊藤さんからどういう言葉が最初に出るのか、部屋全体が静まり返りました。
「気を使っていただいてありがとうございます。」
「いや、小久保さんには部屋探しの間、本当に良くしてもらったので、感謝はしているんですよ。」
「ありがとうございます。」
冷静で、かつこちらを労ってくれる反応に少しほっとします。
「ただ、車の修理については、今ディーラーに出してるんですけど、いくら掛かるのか分からないので
何とも言えないんですが、御社ではどうお考えですか?」
早速の本題に少し慌てましたが、僕は心を落ち着けてから
「はい。今回の件ですが、伊藤さんのお仕事柄もあったので、納得いただけるようきちんと調べた上で
と思いまして。事前に弁護士事務所に確認してまいりました。」
「で、どうだったんですか?」
「はい、それがとても言いにくいのですが、弁護士の見解では、
サイズの書いてある案内看板の掲示が現地に掲示してあったということ、
そして、お車を他人ではなくご本人の運転によって傷つけたということ、
この2つの理由から当社の過失はほとんどないという話だったんです。」
それを聞いた伊藤さんの顔色が急に変わりました。
そりゃそうです。ぶつけたあんたが悪いって言われたんですから・・・
「じゃあ、お宅は費用負担はしないって事ですか?」
「車を買い換えることも僕は小久保さんに伝えてましたよね?」
「いえ、とんでもないです。法律的にどうこうということよりも、伊藤さんの大事な車が当社の
落ち度があって傷がついてしまったということは重く考えています。
それに、伊藤さんがこのマンションで新しい生活を気持ちよくスタートしていただきたいと思っています。」
「なので、まだ費用はいくらかかるのか分からないですが、会社と相談の上、法律的なところより、
伊藤さんのお気持ちの部分を踏まえて、会社から費用は折半させていただくという了解をもらって、
報告にうかがいました。」
実際、伊藤さんはほとんどこちらで負担してくれるものだと思っていたようです。
(僕も逆の立場だったらそういう気持ちになるでしょう。)
僕の話を聞いて、伊藤さんは暫く黙り込んでしまいました。
そしてようやく、
「僕も自分自身で調べてみますので、暫く時間をもらっていいですか?」
「もちろんです。ほんと、ご迷惑を掛けて申し訳ありませんでした。」
「修理費用と負担割合の件は、分かり次第、私にご連絡いただけますでしょうか?」
「分かりました。」
僕と小久保君は、玄関口で再度伊藤さんに頭を下げ、マンションを出ました。
帰りの車中で小久保君から、「迷惑掛けてすみません。」と詫びの言葉が・・・
いつも元気でガンガン前を向いている小久保君から似つかわしくない暗ーい声が出ました。
「いい勉強になったな!俺も勉強になったし。それに、伊藤さんは小久保君に感謝してるって
言ってくれてたやろ。あとは、伊藤さんの判断に任せるしかないよ。」
そして、結果は?
数日後、伊藤さんから電話がありました。
修理費用の金額の連絡と、そして負担割合は当社の提示どおり折半で了解する旨の返事。
また、負担割合は別として、すぐに対応してくれたことに感謝をしてくれました。
やはり、ご自身で色々調べて法律的な部分は納得されたようです。
負担割合は感情の話なので、まだ納得はしきれていないようでしたが・・・
その電話を聞いて、僕は胸をなでおろしました。
また、伊藤さんが我々の対応に理解をしてくれたことを嬉しく思いました。
すぐ、小久保君にも携帯へ連絡を入れると、小久保君もほっとしているようでした。
今回の件は、
〇大前提として、小久保君の仕事ぶりを伊藤さんが評価してくれていたこと。
〇伊藤さんが弁護士という仕事をしていたからこそ、法律的な見解に理解をしてくれたこと。
〇修理費用が分かる前でも、とにかく動いてお詫びに行ったこと。
この3つの要因があって、なんとか解決できたんじゃないでしょうか。
相手が弁護士さんじゃなければ、法律に詳しくないごく普通の一般の方だったらもっと大変
だったかもしれません。
最近、小久保君と飲みに行く機会がありました。
小久保君が別のお客さんをAマンションに案内していたら、廊下でばったり伊藤さんに会ったそうです。
そして、伊藤さんから
「小久保さん、あの時はお世話になりました。田中さんはお元気ですか?」
と2人を覚えてくださっていたそうです。
2年も前の、しかもクレームになったお客さんが覚えてくれているなんて、小久保君と
「いいお客さんに巡り会えて良かったな。」
と昔話に花が咲きました。
立体駐車場を借りた入居者さんは、弁護士さんの見解の通り
標識があって、自分で運転していたら、残念ながら過失は法律的には入居者さんとなります。
たとえ、間違った区画を案内されたとしてもです。
なので、車を入庫する前には、必ず車体のサイズを確認するようにしましょうね。